新札のデザインと選ばれた3人の偉人についてまとめてみました。
目次
新札に選ばれた3人の偉人とは?
2024年に発行予定の新札に選ばれたのは、
渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎の3人です。
彼らは、それぞれ日本の近代化において重要な役割を果たしました。
渋沢栄一は、近代日本の資本主義の父と呼ばれ、多くの企業設立に関与しました。
津田梅子は、日本の女子教育の先駆者として、女性の地位向上に尽力しました。
北里柴三郎は、医学者として、特に破傷風菌の研究で世界的に知られています。
彼らが選ばれた理由は、ただ単に業績が偉大だからだけではありません。
現代の日本人にも影響を与え続ける彼らの功績が、紙幣を通じて伝えられる価値があると認められたからです。
このように、新札に選ばれた3人の偉人たちは、日本の歴史において重要な役割を果たし続けているのです。
mikaryu
渋沢栄一はNHK大河ドラマの主人公だったから、知名度ありそうですが、
正直あとの2人ついてはあまりよく知らないな~
新札デザインの選考基準と選ばれた理由
新札のデザインはどのようにして選ばれるのか? 参照元はこちら
プロセスと基準を解説。
肖像をはじめとするお札の様式は、通貨行政を担当している財務省、発行元の日本銀行、製造元の国立印刷局の三者で協議。
最終的には日本銀行法によって財務大臣が決めることになっています。
肖像になる人に基準はあるのか?
・偽造防止の観点から、なるべく精密な写真が入手できること
・肖像彫刻の観点からみて、品格のある紙幣にふさわしい肖像であること
・肖像の人物が国民各層に広く知られており、その業績が広く認められていること
こうして、現在のお札の肖像は、明治以降の人物から選ばれています。
お札のデザインに肖像が描かれているのは、人の顔や表情のわずかな違いにも気がつくという人間の目の特性を利用しています。
渋沢栄一 – 近代日本経済の父
渋沢栄一が新一万円札に選ばれた理由とは?
渋沢栄一が新一万円札の顔に選ばれたのは、彼の多大な経済的功績が評価されたからではないでしょうか?
彼は、日本初の株式会社制度を導入し、東京証券取引所、東京海上、王子製紙、日本郵船、帝国ホテル、サッポロビールなど、500あまりの企業の設立に関与しました。
渋沢栄一の知られざるエピソード:銀行家としての顔
渋沢栄一のもう一つの顔は、銀行家としての側面です。
彼は、日本初の銀行である第一国立銀行(現在の第一銀行)を設立し、日本の金融システムの礎を築きました。
この銀行は、渋沢が資本主義の導入を目指し、現代の日本経済の基礎を作るための重要なステップでした。
彼の銀行設立は、当時の日本における金融革命とも言える出来事でした。
渋沢栄一の功績は、企業設立だけでなく、銀行業界においても多大な影響を与えています。
著書【論語(=道徳)と算盤(=商売)】では「目先の利益のみを優先させた経済活動は結果的に人々の生活を脅かし、ひいては国家の安全すら危うくさせる」と訴えかけます。
実は女遊びが好き過ぎたという不道徳な一面もあったりします💦
引用元:渋沢栄一 – Wikipedia
津田梅子 – 日本の女子教育の先駆者
津田梅子の功績と新五千円札への選定理由
津田梅子が新五千円札に選ばれたのは、彼女が日本の女子教育に多大な貢献をしたからではないでしょうか?
津田は35歳の時、女子英学塾(現在の津田塾大学)を設立し、女性の高等教育の基盤を作りました。
津田塾大学の卒業生には、戸田奈津子さん(翻訳家)、田嶋陽子さん(英文学者・元参議院議員)など多くの有名人を輩出しています。
女性が自立し、社会で活躍できるようにするための教育を推進しました。
明治初期の当初はまだ、【男尊女卑】が当たり前でしたが、そんな時代でも女性の自立について追及した志は現在も多くの女性教育機関で受け継がれています。
津田梅子の留学経験がもたらしたものとは?
津田梅子の留学経験は、彼女の教育活動に大きな影響を与えました。
彼女は、6歳で岩倉使節団の一人として、アメリカへと渡りました。
(他にも5人の女性がいましたが、津田が最年少だった。)
17歳で日本に戻り、教師として女子学生を教えています。
留学中、津田はアメリカの自由な教育システムに感銘を受け、日本でも同様のシステムを導入することを決意しました。
この経験は、彼女が女子英学塾を設立する原動力となりました。
引用元:津田梅子 – Wikipedia
北里柴三郎 – 近代日本医学の父
北里柴三郎が新千円札に選ばれた理由とは?
北里柴三郎が新千円札に選ばれた理由は、彼が医学の分野で世界的に重要な発見をしたからではないでしょうか?
彼は、破傷風菌の培養と治療法の開発に成功し、「近代日本医学の父」と呼ばれています。
北里柴三郎の偉大な発見とその意義
破傷風菌の培養と治療法の開発
北里柴三郎の最も重要な発見は、破傷風菌の純粋培養と、その治療法である抗毒素療法の確立です。
この発見は、感染症の治療法に革命をもたらし、多くの命を救うことに貢献しました。
19世紀末、破傷風は致死率が高い病気として知られていました。
破傷風菌が体内に入ると、強力な毒素を生成し、神経系に深刻な損傷を与えます。
治療法が確立されていなかった当時、破傷風に感染すると死亡するケースが多かったのです。
1889年、北里はドイツのロベルト・コッホ研究所で破傷風菌の純粋培養に成功しました。
これは、初めて破傷風菌が単独で分離された瞬間でした 。
その後、彼は破傷風毒素に対する抗毒素を開発し、この抗毒素を用いた治療法を確立しました。
この治療法により、破傷風の致死率が劇的に低下しました。
北里の研究は、後に予防接種や免疫療法の基礎を築くことになりました。
彼の抗毒素療法の成功は、他の多くの感染症に対する抗体療法の開発にも道を開きました 。
結核菌研究と結核予防
北里柴三郎は、結核菌に関する研究でも重要な貢献をしました。
彼の研究は、結核予防と治療の進展に大きく寄与しました。
結核は、19世紀から20世紀初頭にかけて多くの人々の命を奪った主要な感染症の一つです。
結核菌は、肺などの臓器に感染し、慢性的な病気を引き起こします。
当時は有効な治療法が乏しく、結核は「不治の病」とされていました。
北里は、1892年、福沢諭吉らの支援の下、私立伝染病研究所を創立。
伝染病予防と細菌学の研究に取り組みました。
翌年、日本最初の結核専門病院「土筆ヶ岡養生園」を開設し結核予防と治療に尽力しました。
彼の研究は、結核の早期診断や効果的な治療法の開発に大きく貢献し、結核対策における基礎を築きました。
国際的な影響と公衆衛生への貢献
北里柴三郎の研究と発見は、日本国内だけでなく、国際的にも広く認識され、公衆衛生の向上に貢献しました。
1894年に発生した香港でのペスト流行時に現地に赴き、ペスト菌の発見に貢献しました 。
また、北里は多くの医学生を指導し(野口英世など)、彼らが後に日本国内外で医学の発展に貢献することを可能にしました。
彼の影響は、直接的な研究成果だけでなく、後進の育成にも及びました。
北里柴三郎の公衆衛生への貢献と国際的な影響は、彼を「近代日本医学の父」と称するにふさわしいものです。
彼の業績は、医学の進歩と公衆衛生の向上に大きく貢献しました。
引用元:北里柴三郎 – Wikipedia
新札デザインの未来と私たちへの影響
新札デザイン変更がもたらす社会的な影響
1. 偽造防止の強化
新札デザインの変更は、偽造防止技術の向上を通じて、通貨の信頼性を高め、経済の安全性を強化します。
偽造紙幣の問題は、どの国においても経済的なリスクを伴います。
新しいデザインには、最新の偽造防止技術が組み込まれており、これにより紙幣の安全性が大幅に向上します 。
新札には、見る角度によって図案が変わる3Dホログラムや、高精細な透かし模様などの新技術が採用されています 。
これらの技術は、偽造が難しくなるだけでなく、一般の人々にも識別しやすい特徴を持たせています。
これにより、偽造紙幣の流通が減少し、経済的な損失が抑えられるとともに、通貨の信頼性が向上します。
2. 経済活動の促進
新札の発行は、経済活動を刺激し、特に現金取引の多い中小企業や個人経済において、活性化を促進します。
新札の発行に伴う一時的な需要増加や流通促進は、関連産業に経済的な効果をもたらします。
紙幣のデザイン変更は、印刷業やセキュリティ技術に関連する産業にも直接的な影響を与えます。
新札のデザイン変更により、ATMや自販機などの現金取扱機器の改修が必要となります。
これにより、機器の製造業やメンテナンス業界にも経済的な波及効果が見られます。
また、古い紙幣から新しい紙幣への交換需要も一時的に高まり、銀行や金融機関の業務が活性化します 。
新札の導入は、関連する産業の活性化や、現金取引の安全性向上を通じて、経済全体にポジティブな影響を与えます。
3. 文化的・教育的な影響
新札のデザイン変更は、選ばれた人物の再評価や教育的な関心を高め、日本の歴史や文化への理解を深める機会を提供します。
新札に選ばれた人物やその業績は、社会に広く知れ渡ることになり、教育の場での使用や文化的な認識の向上につながります。
新しいデザインは、紙幣を通じて日本の歴史や文化を広く伝える役割を果たします。
渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎といった人物が新札に選ばれることで、彼らの功績や人生に対する関心が高まります。
改めて旧札の人物にも焦点が当たることもあるでしょう。
学校教育においても、これらの人物についての授業や学習が強化されるでしょう。
また、観光業においても、外国人観光客が新札を手にすることで、日本の文化や歴史への関心が高まることが期待されます。
4. ユニバーサルデザインの促進
新札のデザインには、視認性や触覚での識別の容易さを考慮したユニバーサルデザインが採用されており、すべての人にとって使いやすい通貨を実現します。
ユニバーサルデザインの採用により、視覚障害者や高齢者など、幅広い利用者が安全に紙幣を使用できるようになります。これにより、社会全体のインクルージョン(包摂性)が高まります。
新しい紙幣には、指先で感じることができる識別マークや、額面数字の大型化などが取り入れられています。
これにより、視覚障害を持つ人々や高齢者が、紙幣を簡単に識別しやすくなっています 。
ユニバーサルデザインの採用は、すべての人にとっての使いやすさを向上させ、より包摂的な社会を促進します。
新札に関するよくある質問(FAQ)
旧札はいつまで使えるのか?
新しいお札が発行された後も現在発行されているお札が使えなくなるという予定はありません。
お札は、法律で無制限の強制通用力があることが定められています。法律上の特別な措置がとられない限り、
この通用力を失うことはありません。
旧札の人物と各人の簡単な説明
額面 | 旧札の人物 |
---|---|
1万円札 | 福沢諭吉 |
5千円札 | 新渡戸稲造➡樋口一葉 |
1千円札 | 野口英世 |
【紙幣人物一覧】紙幣になった人物歴代まとめ!何をした人なの? | ネタ取りの翁 (netatori.com)
福沢諭吉(旧1万円札)
「学問のすすめ」の著者であり、近代日本の教育と思想に大きな影響を与えた。
新渡戸稲造(旧5千円札)
「武士道」の著者であり、国際的な教育者として知られ、国際連盟の事務次長も務めた。
樋口一葉(旧5千円札)
日本の女性作家であり、「たけくらべ」や「にごりえ」などの作品で知られています。彼女の作品は、明治時代の人々の生活や感情を深く描いています。
野口英世(旧1千円札)
細菌学者として黄熱病の研究で知られる。アメリカで活躍し、世界的に評価された。
まとめ
新札のデザイン変更は、単なる紙幣の見た目の変更に留まらず、日本社会に広範な影響を及ぼします。
最新の偽造防止技術の採用は通貨の安全性を高め、経済活動を活性化させる要因となります。
mikaryuも偉人3人を調べながら、その人生や功績に興味がわきました。
海外から来た外国の方に詳しく説明できたら日本人として誇らしいな~なんて考えてニヤニヤしてます。
新札発行が楽しみです♬
ここまで読んでいただきありがとうございます(^^♪